3-4 電子構造研究系
基礎電子化学研究部門
西 信 之(教授)
A -1)専門領域:クラスター化学、電子構造論、物理化学
A -2)研究課題:
a) 新奇金属アセチリド化合物の構造と物性
b) 炭素−金属ハイブリッドナノ構造体の創成(遷移金属アセチリド化合物を用いて炭素被覆ナノ金属ワイヤー、磁性 ナノロッドを作る。)
c) 超高速分光法によるフォトクロミック反応,光異性化反応ダイナミックス d) 分子クラスターイオンにおける分子間相互作用と電荷移動・エネルギー移動 e) 液体中でのクラスター形成による局所構造の発生と“ Micro Phase” の生成
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) 我々は,遷移金属アセチリド化合物(MC2:M = Mn, F e, C o, Ni )を開発し(特願 2004-026797),その構造,磁気特性,電 子物性などを調べている。C oC2については,無水物は立方晶系であるが,空気中でこの結晶が水分子を吸収すると, 正方晶系に構造変化を示して(C oC2)2(H2O)の水和結晶となると強磁性を発生することが明らかになった。また,径10
−20 nm程度,長さ300 nmのロッド状結晶とした時,この化合物は室温磁石となり,室温で 670エールステッドの保 持力を示すことを明らかにした。一方,線形分子として知られる銅アセチリド,Cu–C≡C–Cu分子を特殊な条件下で 液相合成すると,5− 25 nmの直径を持ち,500 nmから 1 µm 以上の長さを持つワイヤーの合成に成功した。この他, 様々な金属アセチリドの合成を試み,構造,形状,磁性,触媒特性を調べている。
b) これらのアセチリド化合物は,高温加熱,電子線照射,真空紫外レーザー照射等によって中央に金属結晶を,周囲に 共役炭素層を生じる。鉄アセチリドは,平均の径が 30 nmのα 鉄結晶の周りにグラファイトが生えてくるという特 異な構造を発生する。これは,F e − F e 原子間の距離が,グラファイトの C1− C4の距離と 0.8% の誤差範囲で一致し ているという偶然によっている。生えたグラファイト層は3 nmを超えたところで結晶平面に添う形となり厚さは, 3.5 nmと内部の鉄結晶のサイズによらず一定となる。これをGraphitic skinと呼んでいる。このskinの存在によって, 内部の鉄の表面は化学的に安定となり,酸化されない。更に,鉄表面の原子が炭素と直接結合しているため,異方性 が生じ,同じサイズの純粋な鉄粒子に比べて5倍程度の大きな保磁力を示す。さらに,ヒステリシス曲線は温度の上 昇に対して大きな変化を示さず,スピン反転緩和時間が極めて大きいという有利な性質を示す。このような,金属結 晶−炭素層の直接結合の生成は初めから鉄と炭素分子がイオン結合しているアセチリドを出発点としていること に 由来 するが ,こ れ を膜 構 造にする こ とを 検 討し ている 。強 磁 性膜 −非 磁性伝 導 膜− 強磁 性 膜の組 み合 わせ は spintronicsにおいても重要な接合界面を形成する。今後は,粒子ばかりでなく,2次元の薄膜構造形成やこの上の3 次元構造形成に向かう必要がある。一方,Cu–C≡C–Cuナノワイヤーの加熱や光あるいは電子線による励起によって, ワイヤー中央に直径 2.5 nmの銅芯が炭素皮膜に覆われた形でできる。これは,銅原子の径が 0.25 nmであるから,動 径方向には10個の銅原子が並ぶのみである。このような少数の原子で構成される動径成分がワイヤー方向に無限個
並んでいるモデルを考えると,金属芯の中心の原子のカラムのエネルギー準位が最安定となり,電子は中心を移動 することになる。これに対して外周の炭素と接する銅原子は最も高いエネルギーを持つことになり,この原子上の 電子は,状況によっては内部に移動し,炭素から電子を引っ張ることになる。即ち,炭素筒被覆の銅ワイヤーの外側 と内側では電場勾配が発生し,炭素と銅の接合がダイオード的な働きを示すと期待される。これらの組み合わせに よって様々な量子伝導特性が観測されると期待される。
c) ジアリルエテンを初めとする様々なホトクロミックシステムや光異性化を示す分子系のフェムト秒・ピコ秒時間 分解スペクトルの観測を通じて,これらの反応のダイナミックスを調べている。主として,九州大学等との共同研究 を中心としている。
d) イオントラップトリプル四重極質量選別システムと,赤外,可視・紫外波長掃引レーザーシステムとを組み合わせ て,質量選別された特定のクラスターに光を吸収させ,エネルギーが最終的には付着したアルゴン原子等を解離さ せることを利用して,クラスターの吸収スペクトルを測定している。得られたスペクトルと精密な理論計算によっ て得られたスペクトルを比べあわせて,構造決定を行っている。最近は金属イオンの水和構造の決定を行っている。 東京大学,九州大学,および東北大学との共同研究が主体となっている。
e) 混合系を中心とした液体の中のクラスター構造を,低振動数ラマン分光や液滴の断熱膨張による質量分析を中心 に調べている。福岡大学および佐賀大学のグループとX線散乱や理論計算などを複合的に組み合わせて,液体の分 子的描像を得ようとしている。特に,溶質と溶媒のミクロな相分離状態について系統的な研究が行われている。
B -1) 学術論文
Y. INOKUCHI and N. NISHI, “Infrared Photodissociation Spectroscopy of Protonated Formic Acid and Acetic Acid Clusters,” J. Phys. Chem. A 107,11319–11323 (2003).
C. OKABE, T. NAKABAYASHI, N. NISHI, T. FUKAMINATO, T. KAWAI, M. IRIE and H. SEKIYA, “Picosecond Time-Resolved Stokes and Anti-Stokes Raman Studies on the Photochromic Reaction of Diarylethene Derivatives,” J. Phys. Chem. A 107, 5384–5390 (2003).
K. KOSUGI, M. J. BUSHIRI and N. NISHI, “Formation of Air Stable Carbon-Skinned Iron Nanocrystals from FeC2,” Appl. Phys. Lett. 84, 1753–1755 (2004).
Y. INOKUCHI, K. OHSHIMO, F. MISAIZU and N. NISHI, “Structures of [Mg(H2O)1,2]+ and [Al(H2O)2]+ Ions Studied by Infrared Photodissociation Spectroscopy: Evidence of [HO–Al–H]+ Ion Core Structure in [Al(H2O)2]+,” Chem. Phys. Lett. 390, 140–144 (2004).
Y. INOKUCHI, K. OHSHIMO, F. MISAIZU and N. NISHI, “Infrared Photodissociation Spectroscopy of [Mg·(H2O)1–4]+ and [Mg·(H2O)1–4·Ar]+,” J. Phys. Chem. A 108, 5034–5040 (2004).
C. OKABE, T. NAKABAYASHI, Y. INOKUCHI, N. NISHI and H. SEKIYA, “Ultrafast Excited-State Dynamics in Photochromic N-Salicylideneaniline Studied by Femtosecond Time-Resolved REMPI Spectroscopy,” J. Chem. Phys. 121, 9436–9422 (2004).
H. MACHINAGA, K. OHASHI, , Y. INOKUCHI, N. NISHI and H. SEKIYA, “Infrared Photodissociation Spectra and Solvation Structure of Mg+(CH3OH)n (n = 1–4),” Chem. Phys. Lett. 393, 264–270 (2004).
K. OHASHI, K. TERANOBU, Y. INOKUCHI, Y. MUNE, H. MACHINAGA, N. NISHI and H. SEKIYA, “Infrared Photodissociation Spectroscopy of Mg+(NH3)n (n = 3–6): Direct Coordination or Solvation through Hydrogen Bonding,”
A. HARA, Y. KOMOTO, K. SAKOTA, R. MIYOSHI, Y. INOKUCHI, K. OHASHI, K. KUBO, E. YAMAMOTO, A. MORI, N. NISHI and H. SEKIYA, “Electronic Spectra of Jet-Cooled 3-Methyl-7-Azaindole Dimer. Symmetry of the Lowest Excited Electronic State and Double-Proton Transfer,” J. Phys. Chem. A 108, 10789–10793 (2004).
B -4) 招待講演
西 信之 , 「C H3-, C2H5- 基を含む会合性分子水溶液の低振動数ラマン分光で見た分子間相互作用」, 関西学院大学研 究会 , 兵庫県三田市 , 2004年 7月 .
B -5) 特許出願
特許番号:3413491, 「質量分析用インターフェース、質量分析計および質量分析方法」, 西 信之(岡崎国立共同研究機構 長), 米国特許 , 特許番号:Pat. 6,620,624, 2000年 .
特願2002-013694, 「磁気クラスター、磁気記録媒体、磁気クラスターの製造方法、および磁気記録媒体の製造方法」, 西 信之(岡崎国立共同研究機構長), US Pat. A ppl. 10/347,600, 2002 年 .
特願 2004-026797, 「遷移金属アセチリド化合物、ナノ粉末、および遷移金属アセチリド化合物の製造方法」, 西 信之、小 杉健太郎(自然科学研究機構長), 2004 年 .
特願2004-026839, 「炭素被覆遷移金属ナノ構造体の製造方法、炭素被覆ナノ構造体パターンの製造方法、炭素被覆遷移 金属ナノ構造体。及び炭素被覆ナノ構造体パターン」, 西 信之、小杉健太郎(自然科学研究機構長), 2004年 .
B -6) 受賞、表彰
西 信之 , 井上学術賞 (1991). 西 信之 , 日本化学会学術賞 (1997).
B -7) 学会および社会的活動
文部科学省、学術振興会等の役員等
日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員 (2004-2005). 学会誌編集委員
Chemical Physics Letters, member of A dvisory Editorial Board (2005-2008).
科学研究費の研究代表者、班長等
文部科学省 ナノテクノロジー支援プロジェクト「分子・物質総合設計支援・解析支援プロジェクト」総括責任者 . その他
総合研究大学院大学物理科学研究科研究科長 (2004.4-2005.3).
B -8) 他大学での講義、客員
名古屋工業大学工学部 , 「クラスターの科学」, 2004年 7月 22日 .
B -10)外部獲得資金
基盤研究(B ), 「分子イオンクラスター蒸着法による高密度電荷集積と光刺激ダイナミックス」, 西 信之 (1995年 -1999年). 基盤研究(B ), 「水溶液中の特異なクラスター集合構造の発生と機能の発現」, 西 信之 (1999年 -2002年).
日本学術振興会未来開拓学術推進事業 , 「光によるスーパークラスターの創成とその光計測:単分子磁石の実現」, 西 信之 (1999年 -2004年).
文部科学省 ナノテクノロジー支援プロジェクト「分子, ・物質総合設計支援・解析支援プロジェクト」, 西 信之 (2002年-2006 年).
C ) 研究活動の課題と展望
ナノレベルで金属原子と炭素原子のハイブリッド化合物をアセチリドとして実現し,更にこれを用いて金属原子結晶とグラ ファイトのような炭素層を接合し,金属に結合した皮革や炭素ナノチューブとして金属ワイヤーを包接することに成功した。 まだ,きれいな結晶として炭素層を成長させる段階には来ていないが,これらの「金属炭素接合」は,内部の金属核を安定さ せるばかりでなく,電子状態として電気伝導特性およびスピン結合という点から見て極めて重要な意味を持っている。特に 数nmのサイズの場合は,金属層の接合表面付近は半導体的な不連続準位を形成し,しかも,HOMOに入っていた電子が 中心の金属のフェルミ準位に流れ出て接合界面の金属原子はプラスのホールを形成すると予想される。一方,金属に結合 した炭素層では,接合面の準位が最安定となり,外殻表面では最も高くなる。即ち,金属−炭素界面では電荷分離接合状態 となっており,このような構造では光伝導特性も興味が持たれる。一方,アセチリドを用いた炭素被覆ナノ粒子では,金属核 を数ナノとした場合,水素吸蔵における水素分子解離触媒としても,優れた性能を発揮することが明らかになっている。課題 は,調べれば調べるほど興味深いことが沢山出てきて,現在の陣容だけではとても追いつかないことである。ナノ接合系の 開発は困難も多いが,化学的にも物理的にも今後大いに発展する事が実感される。
電子状態動力学研究部門
大 森 賢 治(教授)
A -1)専門領域:原子分子光科学、量子光学
A -2)研究課題:
a) アト秒精度のコヒーレント制御法の開発 b) 量子論の検証実験
c) コヒーレント分子メモリーの開発 d) 分子ベースの量子情報科学 e) 強光子場非線形過程の制御 f) 高精度の化学反応制御
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) コヒーレント制御は,物質の波動関数の量子位相を操作する技術である。その応用は,量子コンピューティングや結 合選択的な化学反応制御といった新たなテクノロジーの開発に密接に結び付いている。量子位相を操作するための 有望な戦略の一つとして,物質の波動関数に波としての光の位相を転写する方法が考えられる。例えば,二原子分子 に核の振動周期よりも短い光パルスを照射すると,「波束」と呼ばれる局在波が結合軸上を行ったり来たりするよう な状態を造り出す事ができる。この波束は複数の振動固有状態の重ね合わせであり,結合の伸び縮みに対応した古 典的な運動をする。波束の発生に際して,数フェムト秒からアト秒のサイクルで振動する光電場の位相は波束の量 子位相として分子内に保存されるので,光学サイクルを凌駕する精度で光の位相を操作すれば波束の量子位相を操 作することができる。我々はこの考えに基づき,独自に開発したアト秒位相変調器( A PM )を用いて,二つのフェム ト秒レーザーパルス間の相対位相をアト秒レベルの精度で操作するとともに,このパルス対によって分子内に発生 した二つの波束の相対位相を同様の精度で操作する事に成功した。さらに,これらの高度に制御された波束干渉の 様子を,オングストロームの空間分解能とフェムト秒の時間分解能で観測する事に成功した。
b) A PMを用いて,分子内の2個の波束の量子干渉を100%のコントラストで完全制御する事に成功した。また,この高 精度量子干渉を量子論的な重ね合わせ状態の検証に応用した。同様に,デコヒーレンス検出器として用いる事によっ て,熱的な分子集団の回転位相緩和や固体中の光学コヒーレントフォノンの発生に伴うデコヒーレンスを検出する 事に成功した。
c) 光子場の位相情報を分子波束の量子位相として転写する分子メモリーの開発を行なった。ここでは,フェムト秒光 パルス対によって分子内に生成した2個の波束間の量子位相差をアト秒レベルの精度で操作し,これらの干渉の結 果生成した第3の波束を構成する各振動固有状態のポピュレーションを観測することによって,それぞれの光パル スの位相情報が高精度で分子内に転写されていることを証明することができた。また,フェムト秒光パルス対の時 間間隔をアト秒精度で変化させることによって波束内の固有状態のポピュレーションの比率を任意に操作できる ことを実証した。
d) 分子メモリーを量子コンピューターに発展させるためには,c)で行ったポピュレーション測定だけでなく,位相の
測定を行う必要がある。そこで我々は,c)の第3の波束の時間発展を別のフェムト秒パルスを用いて実時間観測し た。これによって,ポピュレーション情報と位相情報の両方を分子に書き込んで保存し,読み出すことが可能である ことを実証した。振動固有状態の組を量子ビットとして用いる一分子量子コンピューターの可能性が示された。 e) アト秒精度のコヒーレント制御法を,強光子場中の希ガス原子の越しきい値イオン化過程に応用する事に成功した。 f) アト秒レベルの量子位相精度を達成したことによって電子励起状態を介した反応制御が可能になった。このような
反応制御の第一段階として,3原子分子での高精度波束干渉実験の準備を進めている。多原子分子は複数の振動モー ドをもっているので,e)で開発した位相変調パルス発生装置とA PMを組み合わせたシンプルな波束干渉を用いて解 離の分岐比を制御できる可能性がある。
B -3) 総説、著書
大森賢治 , 「アト秒精度のコヒーレント制御―分子振動波束への応用―」, 日本物理学会誌 59, 615–618 (2004). (招 待論文)
B -4) 招待講演
K. OHMORI, “High-Precision Molecular Wave-Packet Interferometry,” The 24th Physical Chemistry Colloquium, Sendai, August 2004.
K. OHMORI, “Molecular Wave-Packet Interferometry: How Does It Work ?” Symposium on Control of Molecules and Clusters in Intense Laser Fields, Tokyo, July 2004.
K. OHMORI, “Molecular Wave-Packet Interferometry: How Does It Work ?” Seminar at Université Paul Sabatier (Toulouse III), Toulouse (France), June 2004.
K. OHMORI, “Sub-10 Attoseconds Precision in Coherent Control,” The 8th East Asian Workshop on Chemical Reactions, Okazaki, March 2004.
大森賢治 , 「High-precision quantum processing of molecules」, 総研大岡崎レクチャーズ:アジア冬の学校 , 岡崎 , 2004年 12月 .
大森賢治 , 「孤立分子のアト秒コヒーレント制御」, 第1回 原子・分子・光科学(A MO)討論会 , 東京 , 2004 年 7月 .
大森賢治 , 「アト秒精度のコヒーレント制御」, 日本放射光学会行事委員会企画 若手を中心としたワークショップ今後30年 の科学の未来像―放射光の役割― , 東京 , 2004年 7月 .
大森賢治 , 「アト秒コヒーレント制御」, 特定領域研究「強レーザー光子場における分子制御」第 5回 全体会議 , 東京 , 2004 年 5 月 .
大森賢治 , 「サブ 10アト秒精度のコヒーレント制御」, 物性研短期研究会「超高速レーザー分光における最近の発展」, 柏 , 2004年 2月 .
B -6) 受賞、表彰
大森賢治 , 東北大学教育研究総合奨励金 (1995). 大森賢治 , 光科学技術研究振興財団研究表彰 (1998).
B -7) 学会および社会的活動 学協会役員、委員
分子科学研究会委員 (2002- ). 学会の組織委員
International Conference on Spectral Line Shapes国際プログラム委員 (1998- ).
21st International Conference on the Physics of Electronic and Atomic Collisions 準備委員, 組織委員(1999). The 5th East Asian Workshop on Chemical Reactions 組織委員長 (2001).
分子構造総合討論会実行委員 (1995). 第 19回化学反応討論会実行委員 (2003).
原子・分子・光科学(A MO)討論会プログラム委員 (2003- ). その他
平成16年度安城市シルバーカレッジ「原子のさざ波と不思議な量子の世界」. 岡崎市立小豆坂小学校 第17回・親子おもしろ科学教室「波と粒の話」.
B -7) 他大学での講義、客員
東北大学多元物質科学研究所 , 客員教授 , 2004年 4月 - .
C ) 研究活動の課題と展望
今後我々の研究グループでは,A PMを高感度のデコヒーレンス検出器として量子論の基礎的な検証に用いると共に,より自 由度の高い量子位相操作技術への発展を試みる。そしてそれらを希薄な分子集団や凝縮相,固体,表面に適用することに よって,「アト秒量子エンジニアリング」と呼ばれる新しい領域の開拓を目指している。当面は以下の4テーマの実現に向けて
研究を行なっていきたい。
① デコヒーレンスの検証と抑制:デコヒーレンスは,物質の波としての性質が失われて行く過程である。量子論におけ る観測問題と密接なつながりをもつ重要なテーマであるとともに,テクノロジーの観点からは,反応制御や量子情 報処理のエラーを引き起こす主要な要因である。その本質に迫り,制御法を探索する。
② 高精度の化学反応制御:アト秒レベルの量子位相精度は紫外光を用いたコヒーレント制御を可能にする。これによっ て分子の電子励起状態を利用した高精度の反応制御が可能になるであろう。
③ アト秒軟X線パルス源の開発と応用:強光子場中の高次非線形過程をコヒーレント制御し,効率の良いアト秒軟X 線パルス源の開発を目指す。これをアト秒時間分解分光に用いる。
④ 分子ベースの量子情報科学の開拓:高精度の量子位相操作によって分子内の複数の自由度を用いる任意のユニタリ 変換とそれに基づく高度な量子情報処理の実現を目指す。
これらの研究の途上で量子論を深く理解するための何らかのヒントが得られるかもしれない。その理解はテクノロジーの改 革を促すだろう。我々が考えている「アト秒量子エンジニアリング」とは,量子論の検証とそのテクノロジー応用の両方を含む 概念である。
大 島 康 裕(教授)
*)
A -1)専門領域:分子分光学、化学反応動力学
A -2)研究課題:
a) 気相芳香族クラスターの構造と励起状態ダイナミックスの解明 b)強静電場中の気相孤立分子に関する分光理論ならびに実験手法の確立 c) フェムト秒分光による振動・回転量子波束ならびに無輻射過程の観測 d)コヒーレント非線型分光のための高分解能レーザー光源の開発
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) 芳香族分子は,光励起によって多様な緩和過程や化学反応を示すが,これらは外部環境によって大きく影響される 場合も多い。このような「溶媒効果」に対する微視的モデルとして気相クラスターを取り上げ,周波数領域および実 時間領域の各種レーザー分光を併用することにより,水素結合や分子の配列形態のような静的構造因子が,無輻射 過程や励起子交換相互作用とどのように相関するかを解明してきた。昨年度からは,芳香環と水素結合性分子との 相互作用ポテンシャルを精密に研究する目的で,ベンゼン−水クラスターの電子遷移の観測を行っている。特に, ホールバーニング等の2重共鳴レーザー分光を用いることによって分子間振動が励起した振電バンドを高感度で 検出し,振動準位構造を実験的に決定することに重点を置いている。
b)分子に対する外部環境の効果としては,静電的相互作用が主要な役割を占める。クラスターの研究は局所的構造を 反映した情報を得るのに有用であるのに対して,分子全体に作用する電場の効果を検討する方法の確立も不可欠で ある。このような問題意識のもとに,強静電場中にある孤立分子の分光学的研究を行っている。理論的には,電場− 双極子相互作用によって回転運動が拘束された状態(pendular状態)について考察を行い,エネルギー準位や選択則 等に関する強電場極限での解析的表現を求め,pendular 状態の物理的描像を確立した。実験的には,200 kV /cmの電 場強度のもとで超音速分子線からのレーザー誘起蛍光を観測する装置を完成させ,実測スペクトルが新導出の理論 によって簡潔に帰属できることを検証するとともに,空間配向度を制御した分子集団の生成・選択の可能性を明ら かにした。また,溶液中で蛍光プローブとして多用されているクマリン系色素に応用し,電子励起による電気双極子 モーメント変化(∆µ)を実験的に確定した。∆µはスペクトルシフトから溶媒極性を見積もる際に最重要なパラメー ターであり,本結果は,溶液中の測定を解析する上での基準となる。
c) 強静電場や光電場中の分子における振動・回転エネルギー準位構造や各種緩和過程を極めて高い時間分解能で研究 する手段の開発を目的として,本年度よりフェムト秒レーザーを用いた実時間分光実験を開始している。超音速 ジェット中で冷却した分子について,相対位相をランダムに変調した同一波長パルス対を用いる干渉計測法(C OIN; C oherence Observation by Interference Noise)により,電子遷移に関するコヒーレンスの時間発展を観測するシステ ムを製作した。C OIN法は,単一のレーザーのみを利用し,かつ,精密な光路長の制御を必要としない計測法であり, 広範囲な分子への適用性を有することが特徴である。現在までのところ,ヨウ素分子のB–X遷移における伸縮振動 量子波束,o- フルオロトルエンの S1–S0遷移におけるメチル基内部回転量子波束,ベンゼンのS1–S0遷移における回 転量子波束の観測に成功している。現在,スペクトルの解析が進行中であり,C OINで観測されるコヒーレンスの特 徴を検討する予定である。また,ナフタレンのS2–S0遷移においては,S2からS1への内部部転換によりレーザーパル
ス幅(~200 fs)でコヒーレンスの減衰が完了することも見出している。
d) 気相クラスターや強電場中の分子に関する高分解能電子遷移観測,ならびに,コヒーレント非線形分光への利用を 目的として,フーリエ限界のパルス光(周波数幅 ≤ 0.01 cm–1)を出力しうる全固体単一モードパルスレーザーを製 作中である。システムの構成としては,波長可変の連続発振レーザーをシード光として,B B O非線型結晶を用いて単 一モード Y A G レーザー励起でパラメトリック発振を行う。シード無しの発振では充分な変換効率( 20% )を達成し ており,現在,狭帯域発振へ向けて調整を行っている。
B -1) 学術論文
Y. OHSHIMA, R. KANYA, Y. SUMIYOSHI and Y. ENDO, “FTMW Spectroscopy of Jet-Cooled 9-Cyanoanthracene,” J. Mol. Spectrosc. 223, 148–151 (2004).
R. KANYA and Y. OHSHIMA, “Pendular-Limits Representation of Energy Levels and Spectra of Symmetric- and Asymmetric- Top Molecules,” Phys. Rev. A 70, 013403 (19 pages) (2004).
R. KANYA and Y. OHSHIMA, “Pendular-State Spectroscopy of the S1–S0 Transition of 9-Cyanoanthracene,” J. Chem. Phys. 121, 9489–9497 (2004).
B -6) 受賞、表彰
大島康裕 , 分子科学研究奨励森野基金 (1994).
B -7) 学会および社会的活動 学協会役員、委員
日本分光学会装置部会企画委員 (1995-1999). 日本化学会近畿支部幹事 (2001-2003). 分子科学研究会委員 (2004- ).
分子科学総合討論会運営委員 (2004- ). 学会の組織委員
The East Asian Workshop on Chemical Reactions, Local Executive Committee (1999).
分子構造総合討論会実行委員 (2003). 学会誌編集委員
日本化学会誌(化学と工業化学) 編集委員 (2001-2002).
B -10)外部獲得資金
一般研究(C ), 「ラジカル反応対における分子間相互作用」, 大島康裕 (1995年).
一般研究(B ), 「溶媒和クラスター内エネルギー散逸過程の実時間領域測定」, 大島康裕 (1996年 -1997年). 三菱油化化学研究奨励基金 , 「分子配置の量子波束制御と化学反応コントロール」, 大島康裕 (1998年). 基盤研究(B ), 「微視的溶媒和による無輻射過程の制御機構の解明」, 大島康裕 (1998年 -2000年). 日本証券奨学財団研究調査助成 , 「1重項酸素生成機構の分子論的解明」, 大島康裕 (2000年 -2001年). 旭硝子財団研究助成 , 「1重項酸素生成機構の分子論的解明」, 大島康裕 (2000年 -2001年).
日本原子力研究所黎明研究 , 「気体分子の配向完全制御と動的構造決定への応用」, 大島康裕 (2002年). 住友財団基礎科学研究助成 , 「気体分子の配向完全制御と動的構造決定への応用」, 大島康裕 (2002年). 基盤研究(B ), 「孤立少数自由度系における構造相転移の実験的探索」, 大島康裕 (2002年 -2004年). 光科学技術振興財団研究助成 , 「コヒーレント光による分子運動の量子操作」, 大島康裕 (2003年 -2004年).
特定領域研究(強光子場分子制御)(公募), 「強光子場による分子配列・変形の分光学的キャラクタリゼーション」, 大島康 裕 (2003年 -2005年).
C ) 研究活動の課題と展望
今までの研究を発展させる形で,特に,分子の振動と回転という運動の自由度に着目して研究を進めていく。具体的には, 振動・回転に関するエネルギー準位構造を詳細に明らかにし,その知見を基礎として運動量子状態を外部的に操作する方 法論の開発を目指す。主として分光学的手法により研究を行うが,極短パルスレーザーと高分解能レーザーを併用した多様 で独自なアプローチをわれわれのグループの特徴としたい。つまり,高分解能レーザーによる(方位量子数を含んだ)量子状 態選択に引き続いての極短パルス光励起,および,高強度極短パルス励起後の高分解能レーザープローブ等である。これ らに必要なレーザー光源の開発,特に,単一モードパルスレーザーの製作を早期に完了させたい。運動量子状態操作法が 確立すれば,様々な研究に展開できると考えている。中でも,①クラスターを対象とした分子間相互作用ポテンシャルの精密 決定,②単一量子状態の化学反応ダイナミックス研究,を重点的に進める予定である。
*)2004 年 9月 1日着任